縁結び/哀原友則


先日、稽古場近くの東京大神宮に行った。
縁結びの神様だという。公演も控えているのでお客様との縁をと思い参拝に。


そして今、総武線に乗っている。これを書いているときわたしは総武線に乗っている。
そう、乗っているんだ。帰宅中だ。

持ち稽古場がある劇団東京ミルクホールでは稽古は主に終電近くまでやっている。今日もそうだ。
一人、また一人と稽古場から人がいなくなり同じく総武線に乗る浜本くんも先に出た。
浜本くんが出た10分ほどあとだろうか、わたしも稽古場を後にする。

おそらく浜本くんは先に出汽車に乗っている。そう思って飯田橋駅のホームでゲームを始める。
ふと反対口に目をやると遠くの方に浜本くんがいることに気づく。遅延していたのか。

声をかけるか、だがゲームは始まっている。浜本くんはわたしに気づいていない。
いまから声をかけて一体なんになるであろう。浜本くんも、帰りのひと時きっと一人の時間を楽しみたいはずだ。

そうだ、きっとそうだ。違いない。声はかけないことにした。二人のためだ。



汽車が到着し、座席を陣取る。終電での座席はダイヤモンドの価値だ。
ふと前に目をやると、知り合いが私の前をとおり、隣に座った。なぜだ。

遅くまで大変ですね、などと声をかけるべきか。
いや、そもそも相手は気付いているのか、気付いているなら向こうから声をかけるのではないか。
いや、声をかけるほど仲が良くないから気づいてはいるが声をかけないことにしているのか。

仲がよくないから声をかけないのに、目ざとく見つけ声をかけてなんになるであろう。
第一、浜本くんに声をかけないというひとつ罪を犯しているのだ、これから非社交的であっていったい誰恥じることあろう。相手も、声をかけられて愛想を尽くさねばらぬからきっと大変だ。

そうだ、きっとそうだ。違いない。声はかけないことにした。二人のためだ。

気付かないふりをすることにしてゲームに没頭した。
そして今これを書いている。

浜本くんはこの日記を読むだろうが、仲が良くない知り合いはこれを読まないだろうから気にはならない。
知り合いとは会わなかった。そう思うことにした。


東京大神宮のご利益はあったのだろうか。
そんな帰宅の一部始終。